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PR コンサル

日本においてはまだあまり馴染みのないPR業界だが、アメリカでは1930年代、大恐慌を立て直すために台頭したフランクリン・ルーズベルトが労働者よりの政策を展開することに危機感を感じた大企業が、イメージアップをはかるために“public relations”に気を遣うようになり始めた頃から、多くのPR専門のコンサル会社が設立される。
1990年のイラク湾岸戦争の際、イラク軍侵攻の惨い状況をアメリカ公聴会で証言した15歳のクウェートの少女が、実は在米クウェート大使の娘で、大手PR会社ヒル&ノートン社に仕組まれた情報操作だったというスキャンダルで、日本でもPR業界についての認知を高めている。これは湾岸戦争終結後、ニューヨークタイムズの報道により発覚。この事実を知って以来、“public relations”に興味を持ち始めた。
1990年代のコソボ紛争。"ethnic clensing"という言葉とともにセルビアのミロシェビッチ大統領を独裁者・犯罪者とのイメージを植え付ける国際世論を作り上げた裏にはアメリカのルーダー・フィン社がクロアチアの依頼を受けの活躍があったことが、NHKディレクターの高木徹「戦争広告代理店」に詳しい。
今、まだ混乱の続いているイラクにおいても、同様にコンサルが入って、アメリカに有利な情報を流すよう働きかけているといったことが最近でも問題になっているようだ。この点についてはまた今度。

by yokopw | 2006-02-10 23:10 | PR  

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