Proof of My Life

邦題がProof of my lifeで、原作のタイトル“Proof”よりも、映画の解釈が入り、わかりやすいタイトル。
見る人によって、この作品の意図を様々に解釈するのではないか。考えさせられる映画である。ここでの証明には、「数式の証明」と「誰が証明をしたか」という証明の意味が兼ねられている。加えて、生きている証(あかし)というのもあるのかも。

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Catherine (Gwyneth Paltrow) は、 父から数学の才能を受け継ぐものの自己表現が下手で不器用。
一方、姉のClaireは、NYで猛烈に働いてキャリアを築いているエリート。

晩年、気が狂った天才数学者の父Robert (Anthony Hopkins)を、姉のClaireが施設に入れるべきという意見も無視して、自分の大学生活を辞めて看病する。看病をするうちに、父が取り組んでいた超難解な証明を、彼女が解く。

父Robertの葬儀後、彼の助手であった男子学生Hal に気を許し、彼女が解いた証明も見せる。しかし、唯一の彼女の理解者であったHalもすぐには彼女の証明とは認めない。むしろ、Catherineには無理だと彼女の主張を受け入れず、Catherineは自分の世界に閉じこもってしまう。最終的には、Halが他の大学教授等の助けをえて、証明が間違っていない、そしてその証明は彼女がやったものであるということを信じ、Catherineの心を再び開く努力をするところで、映画は終わる。

お姉さんのClaireは、一般社会の反応の代表という感じ。父と妹が没頭する「真理の探究」には敬意を払いつつも、真理より実利を追求。
では、Halは? 彼は自分のことで手一杯、相手を傷つける言葉をズバズバ言ってしまう天才と、一般社会との間を橋渡しできる存在。Catherineの心を唯一つかんだものの、いざ、「誰が証明を解いたか?」という場面では、彼は、Catherineが大学にもろくろく行っていない等等、Catherineの主張を受け入れなかった。何故だろうか。彼の数学者としての嫉妬のようなものがあったからだろうか。

「誰が証明を解いたか」の証明では、日付とか、筆跡とか、非科学的な事柄ばかりが列挙されてくる。結局、彼女は「自分が証明した」ことを自分で証明することを諦めてしまう。何のために「彼女が証明した」かを証明をする必要があるのか、わからなくなってしまったんだろう。

若いときに天才数学者として名を馳せ、後年精神病を患うという設定は、Nash 教授をもとにした実話、"Beautiful Mind"を連想させる。
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by yokopw | 2007-01-11 23:45 | 映画  

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