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岡義武「近代日本の政治家」(1960)

 伊藤博文、大隈重信、原敬、犬養毅、西園寺公望の5人に焦点をあてながら、明治政府樹立から第二次世界大戦への突入の政治過程を描きだしているもの。もともとは岡東大教授がご進行用にアレンジしたものらしく、政治的動きそのものだけでなく、その人となりにも焦点があてられており、面白く読み進められる。
<抜粋>
・ 清浦圭吾は山県有朋のことを追想した談話の中で伊藤に言及し、山県公は使えると思った人間を一度用いると、そのものの頭脳や能力などは問題にせず、さほど大きな過失を犯さない限りは決して捨てずに、末永く面倒を見てやった、そのため、使われた者も山県公にすべてをささげることになった、これに反して、伊藤公は適材を発見してこれを適所に用いたのち、用がすめば放置して後は顧みなかった、といい、伊藤の女性関係もその点は同じであった、伊藤は女色を好み、方々で芸妓、雛妓と関係を結んだが、一旦飽きるとあとは忘れたようで、自分の関係をしていた女を人に世話したりした、これが、万事についての伊藤公のやり方であった、と語っている(p41)。
・ 明治日本の外交は、西洋帝国主義、しかし、諸国に対する関係においてはきわめて慎重で、一般にむしろ従属的色彩を帯びていたが、清韓両国に対する関係ではこれと反対にとかく攻勢的態勢をとった。このような我が国の外交を、今仮に一個の人間に喩えてみると、それは抵抗の強い場合には弱く、抵抗の弱い場合に強く出る伊藤の人となりにしても、必要似ている(p46)。
・ (大隈)自己自身について強烈な自信を持った彼は、他の物を必要に応じて起用しても、必要去れば別段そのあとの面倒をみようとはしなかった。又その自信の故に、自分の周辺に配下を作ってその力を結集して自己の立場を鞏固に築こうとも企てなかった(p68)。
・ (大隈)極度に外発的、外向的な彼の性格は、政敵を攻撃する場合に特に最も端的に現われていて、論調は時にしばしば余りにも威圧的、恫喝的となり、聴く者の間に往々反感を抱かせた。大隈はかつて座談で、パリ平和会議での我が国外交のことを批評して、何でもよいから最初に怒鳴って相手の度肝を抜いておくと、仕事がやりやすいものだ、パリ会議でのウィルソンやクレマンソーのやり方もつまりこれだ、日本代表もそうすべきであった、と言っている(p70)。
・ 犬養の直情性と原のこの如才なさとは、元老・藩閥に対してこの二人の政治家がとった態度の差とも照応する。山県有朋はかつて杉山茂丸に語って、朝野の政治家の中で自分の許を訪れないのは犬養毅と頭山満とだけだと言ったが、犬養は昭和6年のその組閣までは元老の門を叩いたことはなかった(p156)。
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by yokopw | 2009-12-30 11:43 |  

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