入江昭「日本の外交-明治維新から現代まで」(1966)

この本の根底に流れる著者の問題意識は、明治維新から現代まで、日本の外交には東西協調あるいは対立というドグマがあるだけで、外交の基盤にある思想が欠如していたというもの。 日米の観点だけでなく中国、英国など別のアクターも加味しているところが特徴。
 外交における抽象的思想の欠如は、常に現実主義的対応を優先してきている現代(70年以降)の外交にも通じる問題といえる。一方で、特に明治維新から第一次世界大戦まで、列強からの支配をいかに防ぐかと戦々恐々としながら、西欧諸国をモデルに必死に政治経済体制の近代化、富国強兵を進めた日本政府に、理想的な外交を掲げる余地があったかには疑問に感じる。例えば、日本と東洋の特殊性を強調し、アジア諸国に自由と独立をもたらすという政府の現実主義に対抗するアジア主義思想の興隆が取り上げられているが、帝国主義列強に東洋の特殊性を強調することにどれ程の説得力をもったか疑問であり、ある程度の近代化を達成し、国力を高め、国防を確保できるまでは、そもそも理想的外交を展開するという選択肢はなかったのではないか。
また、一方、1870年代から第二次世界大戦終了までの間、帝国主義列強にはどのような外交思想が基盤となっていたのか、政権を貫くような一貫とした思想があったといえるのか、共産主義や民族主義といった一部の例外を除いて、日本と同様に現実主義的対応が先行していたのではないか。例えば、代表的外交の名手として常に上がるイギリスは現実主義的対応が中心といえるのではないか。
本全般を通じて、「思想」という言葉がイデオロギーから外交的伝統まで含めて広義に使われすぎているため、混乱させている印象を受ける。思想の流れとして、政治的指導者の考えを追っているが、国家の根底に流れる外交思想を形成するのは、その時その時の指導者の考えのみによるのだろうか。
 第二次世界大戦後、大戦前の外交の失敗にかんがみ、例えば、ヨーロッパで生まれたEC構築の流れのように、日本政府内外において外交思想の基盤を立て直す(見直す)という機運があったことについても、考察がほしかった(バンドン会議の発想はEAECへ)。

・明治期、外に目を向けざるを得なかった理由の一つは人口問題(8000万人をどうするか)
・西園寺公望(最後の元老、founding father)は非制度的存在であり、西園寺没後、陸・海軍を抑える力弱体化
・チャーチル、日本がパールハーバーを奇襲せずシンガポールからインド洋に侵攻していたら、米は参戦への大義名分もたたず、困ったことになったであろう。(マレー半島が太平洋戦争の最初)
・戦後、台湾と朝鮮が日本の敵対的国家支配下にはいらないということを米が保障
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by yokopw | 2009-12-30 11:38 |  

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